キリストにあるいのちと結合に関する聖書の言葉
キリスト者であるとは、キリストのうちにあること——枝がぶどうの木につながっているように、この方に結ばれ、この方とともに隠され、この方にあって生きることです。この方を離れては、わたしたちは何もできません。この方のうちにとどまるなら、わたしたちは多くの実を結びます。これらの御言葉は、イエスとの結合から流れ出るいのちへとあなたを導き入れます。
キリストにとどまる — ヨハネ 15:5
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
ぶどうの木と枝 — ヨハネ 15:4
わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
あなたのうちにおられるキリスト — コロサイ 1:27
神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。
キリストにあって生きる — エペソ 2:5
罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――